砂嘴

山梨県山梨市万力


 どんなに発展した資本力でも動かすことのできない神秘的なシンボル――「馬頭観音」が開発の防波堤となり、そこは残余地になった。明治、大正、昭和、平成と、周囲に破壊と再生の波が目まぐるしく押し寄せ続ける中、そこにはただ時間の堆積物が坦々と積もってゆくだけであった。路上における砂嘴(さし)の誕生である。

 昭和30〜40年代、モータリゼーションの波に流されやってきた「警官人形」。そこが残余地でなかったのならとっくに撤去されているような代物が、いまだに現役でそこに立ち続けている。
 山梨県警が立てた三角形の黄色いポールには、それぞれの面に異なる標語が標されている。ここは三叉路だから、全方向から来たドライバーに向けて多様なメッセージを送れる機能的なフォルムをなしているのだ。
 馬頭観音を祭るための幟立てが3つほど設けられている。庭園でも公園でも広場でもない、どこにも「管理」されない野放しの土地。しかしその景観は数百年間変化することなく住民の心に沁み着き、生活の一部分となっているのだ。


【戻る】