考古学の町で考現学してきた・前編
大阪府藤井寺市
看板の中のちょっとした地図にも、しっかりと古墳の姿が描かれる古墳だらけの町。「古市古墳群」という所に行ってきました。
行政区分で言うと大阪府藤井寺市周辺。このあたりには羽曳野丘陵という、起伏のなだらかな洪積台地が横たわっている。そのほどよい高低差を活用して、古代には古墳が鬼のように造られた。Wikipediaによれば、現在も大小合わせて87基もの古墳が残っているのだそう。
一方、同エリアは電車に乗ればだいたい30分以内で大阪の都心部に出られるという利便性があり、隅々まで宅地化がなされたベッドタウンとしての顔もあわせ持っている。
古墳にとっても人間にとっても好立地なものだから、古墳のすぐ隣や、時には古墳の上にまで家や道路が造成されており、現代のレイヤーと古代のレイヤーが入り乱れたハイブリッドな景観が見られるエリアなのだという。
のちほど参考文献として紹介しようと思っているが、路上観察の先達と呼べる方々もこの古代文化財と現代人の生活が共生する奇怪な町並みに惹かれて、現地を探訪している。私もそれらのマネをして、いつかこの地を歩いてみたいなと思っていた。
古墳は、(今の価値観で見ると)だいたい非合理でヘンな形をしている。だから古墳の周りにある現代の建物や道路も、きっと古墳のせいで非合理でヘンな形に折れ曲がっていたりするのだろう。そうなると、非合理と合理をつなぐ辻褄あわせの緩衝地帯として、残余地も活躍していたりするのだろう。おおよそ1,500年前の形態の干渉を受けまくっている路上――そいつを自分の目で見てみたかった。
興味の対象は過去の巨大な土木構築物よりもっぱら現代の路上のほうにある。歴史のロマンチシズムより今現在のリアリティを追い求め続けたい。考古学の町であえて考現学をするのだ。……まあ簡単に言うと、ただの意識の低い散歩ですけどね。
それでは早速、現地で発見してきた”古墳×残余地×路上”的な空間を、粗雑なクオリティではあるが動画や写真、地図をまじえながら紹介していこうと思う。(※動画・写真はいずれも筆者撮影、地図はスマートフォン用地図アプリ「スーパー地形」に収蔵の地理院地図を加工したものです。)
・サンド山古墳:残余地に"サンド"された異形
道路がグリッド状に綺麗に整えられた、おだやかな雰囲気の住宅地の中に、おだやかでなさそうな歪な形の土の塊がごろりと寝そべっていた。
これ古墳なの? 残土置き場にしか見えないんだけど……。歴史の教科書の最初のほうのページでインプットされた、頭の中にある古墳のイデアが早くも瓦解してゆく。
グリッドの街区1つ分が、そのアメーバみたいな不整形の図形を閉じ込めるのに使われている。おかげで街区の中は不整形地だらけとなってしまい、宅地として切り出すのは困難であるため、北側は町会の会館、南側はポケットパークとして利用されていた。
異形を四角形の中に閉じ込め、保護し、展示するために両側に注入された、充填剤あるいはホルマリンとしての残余地。そうそう、こういう残余地の地味〜〜な活躍ぶりが見たかったんだ。
この古墳、由来は分からないけれど名前を「サンド山」というらしい。残余地にサンドウィッチされたsandの残土のような山それがサンド山!(←ラップ)
・蕃所山古墳:擬態する古代の形態
先述のサンド山古墳と同一の住宅地内にありながら、真逆の運命を辿っている古墳があった。
蕃所(ばんしょ)山という名前の古墳。「もっこ塚」とも呼ぶらしい。こちらはサンド山のように、残余地のサンドウィッチ状態にはなっていなかった。堂々と交差点のど真ん中に、生身を晒して立っていた。
その丸みの帯びた外郭を活かし、ロータリー型交差点(ロータリーではなくラウンドアバウトかもしれないけど、交通ルールを示す標識は見当たらなかった)という交通インフラに擬態しているのだ。古代の図形が、現代の街路ネットワークの一部に取り込まれ、きちんと機能を発揮している。賢いぞ。そこには足し算も引き算もない。掛け算ではあるかもしれない。
ロータリーの中央にはたいていオブジェが配置されて町のランドマークになっているものだが、ここでは古墳の山がそのまんまオブジェである。しかも本物だ。天然素材のランドマーク。
・赤面山古墳:土木的トロッコ問題
サンド山・蕃所山のある住宅地から800mほど東に向かうと、またまた別のタイプの古墳の生き様を拝むことができる場所がある。この密度の濃さよ。
名前を赤面(せきめん)山という。周縁道路が弧を描いている。ははあ、またロータリーに擬態しているやつだな? と思いきや、そうではない。道路は“ただそこに障害物があったから避けました”という感じで曲がっていて、そこに能動的な機能性は見いだせない。
敷地内に「文化財」の杭が打ち込まれているのが確認できるが、説明板のようなものは見当たらない。掲示されている文字情報は「カーブ注意」のみ。まるで腫れ物扱いだ。さらに、――これが最大の特徴なんだけど、頭上を西名阪自動車道路という高速道路が通っている。生き埋めだ。
なぜそんなことになったのかと言うと、下の図を見ると分かると思うが、ここはどっちを向いても古墳だらけであった。高速道路を通すには誰かが犠牲になるしかなかった。いちばん小さな赤面山の墳丘が犠牲となった。土木的なトロッコ問題が起こっていたわけである。
垂直方向への視認性という古墳の大切なアイデンティティを奪われてしまった一方、「高架下古墳」という新しいアイデンティティを手に入れ、文化財だらけのこの町で埋没することなく――物理的には半分埋没してるけれども――、日陰者になることなく――物理的には半分日陰だけど――、恐らく都市鑑賞を趣味とする人たちの間で、一番の人気者になれた奴。高架下物件の愛好者は多いからね。
ただ、残余地愛好家の自分としては、墳丘とフェンスのわずかな隙間の日陰にならない部分にソーラーパネルが設置され、発電に利用されている点が一番面白いなと思った。
・大鳥塚古墳:高架下の隣の古墳も面白い
高架下の赤面山古墳のすぐ隣に位置する、大鳥塚(おおとりづか)古墳。ネタのインパクト度数で赤面山にお株を奪われてまるでこっちが日陰に埋没してるようにも見えるが、いやいやそんなことはない。残余地的な面白さは、地味な物件にこそ宿るのだ。
ほら。こんなプレーンな純粋残余空間が、ぽっかりと墳丘と道路の隙間に広がっている。美しい。全然地味じゃないだろう。華やかだろう。それは盛りすぎか。
最初は駐車場かと思ったが、等間隔に配置されたコンクリートブロックが車両の進入を頑なに拒んでいる。そもそも観光客が自家用車やバスで乗り付けて来訪するような規模の古墳ではないんだ残念ながら(泣)。このぽっかり空間は、住宅地と古墳の形状のズレを解消する緩衝材的役割と、墳丘の視認性を確保する額縁的な役割を担っているようだ。
大鳥塚古墳は今まで紹介した古墳に比べると図体が大きい奴で、住宅地の中に収めておくのが大変だったようだ。外周を歩くとその労苦がうかがえる。
上の動画のように、ヘルメットの真上に全天球カメラを固定しながらシェアサイクルの自転車で外周を走っていたのだが(完全たる不審者)、道幅が急に8分の1くらいに窄まるところがあった。自転車がギリギリ通れるぐらいの幅しかない。敷地の境界線も色々と複雑なのだろうね。
残余地を付け足したり、逆に道路を削り取ったり、足し算と引き算を繰り返して、なんとかそのデカい図体を一生懸命、現代の住宅地の窮屈なスケールに合わせようとしている姿がほほえましかった。
〜後編に続く〜