テトリス

東京都八王子市S町


 街の隙間に自動販売機がすべり込む。物置がすべり込む。缶入れとタイヤもすべり込む。まるでテトリスだ。それぞれの尺度と同じ大きさのものを持ってきて、余白をキッチリと埋める。その律儀さがたまらない。
 物置の右側のスペースは、車ギリギリ一台分の駐車場になっている。自動販売機と物置の隙間を覗いて見ると、こんなに小さなブロックまで納まっていた(さらによ〜く写真を見てみると、あらゆる隙間に尺度と相応のモノが…)。この角地にはもう「隙間」が存在しないのである。

 自動販売機は土地をお金に置き換えるのに最も手頃な、東京人愛用の”換金装置”だ。以下は『メイド・イン・トーキョー』(貝塚・黒田・塚本,2001)P25からの引用である。

 東京のまちにあるものの大きさはさまざまだが、ほかの都市と比べて特徴的なのが自動販売機ぐらいのサイズである。東京でこれほど多く見られる自動販売機であるが、あまり外国の都市では見られない。それは都市の治安の違いによるものでもあるが、同時に都市にもともと備わっているスケール感から生まれる違いでもあると思われる。たとえば日本では隣地との境界線上に建設することは許されていないが、敷地が狭い場合は当然できるだけ大きく建てようとするので、建物と建物の間に誰が使うでもない(猫が使う)すき間が発生している。ここを使いたくなるのも地価の高い東京では当然のことだろう。おそらく自動販売機はその救世主のひとつであって、現在の東京に見られる極薄だったり、背が低かったりするさまざまなプロポーションの自動販売機は、すき間を埋めることへの対応の結果に違いない。ほかにもカラオケボックスとか、機械式駐車場、看板などが、そういった都市のすき間に入り込むための特有のサイズの開発にあたっている。それらは建築と呼ぶには小さく、家具と呼ぶには大きく、建物の内部にも、まちの片隅にも、都市のペットのごとく変幻自在に入り込んで、どこもかしこも同じ状態(スーパー・インテリア?)にしてしまう。

 角地は都市のペットたちの集会場である。あの自動販売機をペットだとすると、その周囲に納まっているブロックや缶入れは「ペットのペット」ではあるまいか。都市の隙間を見つけて、都市のペットがすべり込む。さらにそのペットの隙間に、ペットのペットがすべり込む。東京の街はテトリス。


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